ワンパンマン

平成生まれの私。

昭和生まれは昭和生まれの感覚があると思いますが、平成生まれは平成生まれなりの感覚というものがあります。

そのなかでも、平成元年から平成5年生まれぐらいが近いものがあるのではないかと思っています。

関係ないですが職場などで、平成生まれと言うと驚かれた経験があります。まぁ確かに目上の人からすれば子供みたいなものだったかもしれないけど、今となってはもう大人。

何かといいますと、子供の頃と今ではなにか感覚が変わってきている?ということを思いました。

その違和感と音楽メディアと漫画「ワンパンマン」を引き合いにして話をしたいと思います。

平成生まれといえども・・

平成生まれといっても、3年生まれの私が物心ついた頃に流行っていたものはミニ四駆やハイパーヨーヨー。
小学生になるとゲームボーイカラーや64といった「ゲーム機」が流行りだしました。

いわゆるハードウェアというやつですね。

今でいうオンライン対戦ではなく、友達が集まって輪を作ってお菓子を食いながらスマブラやパワプロやマリオ系をやるという、今の感覚からするとかなり健全な遊びだったのかも。

「ゲームはやりすぎはよくない」ということが言われ始めていた時代でしたが、集まって遊ぶということがまだできていたので実は悪くなかったのかもしれません。

良い意味でアナログとデジタルの良いところが融合していた時代だと思いますね。

通信対戦は通信ケーブル。
データが消えるトラウマ。

振り返るとインターネットだって遅かったですし、IT発展途上の時代に生まれたのだなと感じる反面、逆をいえば物凄くわかりやすかった時代だったと思います。

感動するものは売れたし、面白いものは面白いと素直に認められる時代。
メディアは溢れていましたが、伝統と節度を守ったものがほとんどでした。

ワンパンマンに出会って

サイタマ

そんなこんなで最近「ワンパンマン」という漫画に出会いました。

随分前に「アンパンマンみたいなタイトルの漫画があるな。」と思った経験があるのですが、表紙がなんか格闘漫画感じがしたのでなんかクローズみたいな不良漫画だと認識してしまったので避けたのかもしれません。格闘漫画はドラゴンボールで十分なんで。

タイトルがワンパンマンだなんて、なかなかのセンスだと思いませんか?

正直僕が漫画家だったらダサくてつけることができません。(とはいえ、当ブログと同じニオイを感じるネーミングセンスを感じるのは否めません)

実はアイシールド21の作者の方の漫画です。

就職活動に行き詰る主人公サイタマは、一人の少年とその命を狙う怪人カニランテに遭遇する。「ヒーローになりたい」という子供の頃の夢を思い出し、奮起したサイタマは命懸けの戦いで怪人を倒し少年を救う。

それをきっかけにサイタマはヒーローとなるためにトレーニングに励み、頭髪がすべて抜け落ちてしまうほど自分を追い込んだ末に、最強とも言える力を手に入れた。

サイタマは自身が強すぎるが故に怪人との戦いに虚無感を抱くが、あるときサイボーグの青年ジェノスと出会う。

サイタマの強さを目の当たりにしたジェノスはサイタマの弟子となる。

サイタマはヒーローとして知名度が低いことを問題に感じ、ジェノスの提案で二人は「ヒーロー協会」という世間に認知された組織へ加入しプロのヒーローになる。

個々の立場や思惑が交錯するプロヒーローの世界でもサイタマは持ち前の強さで徐々に知名度を上げて行くが、世間ではサイタマがインチキを行なっているなどの風説も流れる。

サイタマは憧れとは違う自身のヒーローとしての姿に違和感を覚えるも、怪人などの脅威の出現は止まらず、徐々に抗戦は激化していった。

これだけを読むとそんなに面白くなさそうですね。。

でも、面白いんですよ。

現代に一石を投じるワンパンマン

ワンパンマンは良くも悪くも適当な漫画です。

でも、自分にはなにか響くものがありました。

それがなにかといいますと・・

最近の世の中は特に「実績重視」的な風潮があるように感じています。

確かに昔から何事も結果が全てだということは事実。

スポーツでは負ければ注目されないし、音楽だって売れなければ「アーティスト」だと世間からは認識すらしてもらえません。

音楽の世界でいえば、「えっ。この人たち知らないのに武道館でライブやるの?」なんていうことは最近はざらにあります。昔の武道館のステータスって・・

武道館でライブをやったという実績が欲しいがためにやるのだと思いますが、武道館でライブをやったらやったで世間の目は確かに変わると思います。開催できるということはファンの数も多いのでしょう。

でも、急に武道館でやる必要はあるの?という疑問が私にはあります。

最近はこんな人がドームツアー?っていうこともあるし、テレビ番組だって荒らしていくことも可能だということです。

最近では音楽番組でなぜかアイドルがピアノの伴奏を担当していたし、誇らしげにギターを持って弾いていました。

つまり、そういうのが結果の力だということです。
だからわざわざ音楽の会場としては微妙なのにステータスが得られる武道館でやるんです。

少し話が脱線しかけましたが、ワンパンマンの話に戻ります。

ワンパンマンのヒーローには階級というものがありまして、C〜S級までのランクがあり、S級に近づくほど強いヒーローだという認識です。

S級はたしかに強いですが、この漫画では主人公のサイタマが最強ということがすでに決定しています。あのドラゴンボールですら孫悟空が最強だとは言い切れないですよね?合体技とかもありますし。

どんな凶悪な怪人や宇宙人が登場しようとワンパンで倒せるほど、サイタマは強いのです。

サイタマがどうやって強くなったかというと、毎日普通のトレーニングをしただけなんです。しかもハゲてます。

最強なのにサイタマは実績を振りかざしたりはしません。

ヒーローになりたかったから強くなって、ヒーローやってます。的なゆるーい感じ。ギャグ的要素もあるとはいえ普通のトレーニングをして最強になったサイタマにはプロセス魂を感じます。

プロセスがすべてである

ワンパンマンの魅力の本質はプロセスにあります。プロセスが面白いから何をやっても面白いんです。

そして、現代の音楽メディア体質はこんな感じだと思います。

なにかしらのファン層を狙う→売り上げを得て力を持つ→リリースやら活動繰り返す→実績を得る→場合によってはドラマ出演も→実績を得る→名前すら知らない人も多いのに「どやっ!」っていう感じで活動を続ける→最低限の感動すらさせることができないアーティストがわんさか増えて業界の信頼と尊厳が落ちていく

サイタマの場合は違います。

実力を磨く→ヒーローになる→活動を続ける→知名度が低いから実績が得られる環境に身を置く(生活費も稼げるから)

とてもシンプルです。

趣味でヒーローをやる男

ヒーローになるために努力を重ねたのであり、ヒーローとして有名になるためにトレーニングをしたのではありません。

作中にはヒーローという職が存在しています。でも本当は自分がヒーローだからヒーローなのであり、ヒーローの職についたからヒーローではないのです。

ヒーローになるために努力をしたということになっていますが、それでは歌手になるために歌を練習したり、サッカー選手になるために練習を重ねるのと一緒です。強くなりたいからトレーニングをするんです。

本来は歌がただうまくなりたいから歌の練習もサッカーの練習もするんだと思うんです。スポーツで優勝するためだけにに努力をする人は本当はいないと思います。

まとめ

話を戻しますが、なにかの力に頼って名を上げたはいいけどプロセスが無いために「仕事として活動している感」が生まれてしまいます。

恐らく、音楽業界が廃れた原因はこれにあると思います。

仕事を継続させるために作っても、良いものができるはずがありません。

どれだけ良質なトラックや歌を作ろうが、それは何かしらの仕事を達成するためだけに存在しています。(テレビドラマの主題歌とか)

想いや感情を伝えるために音楽はあるのです。

たまたま今日テレビでBUMP OF CHICKENの天体観測を聴いたのですが、歌詞には情景や想いが詰まっていました。

長く生き残っている人は必ず、そういった大切なものを持っていると思います。

感動するものはジャンルを問わず、プロセスを感じます。

そのプロセスが相乗効果を起こし、人を離さず惹きつけるのだと思うのです。

ワンパンマンは一見、サイタマが最終的に実力で相手をねじ伏せるような漫画に思えなくもありませんが、努力をしたらたまたま最強になってしまっただけなのです。

となりのヤングジャンプ : ワンパンマン