
努力。一般的にはこう解釈されている。
努力(どりょく)とは、目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること。
簡単に使われる言葉ですが、実は本当の努力ってなんなのか僕もわかっていません。結果を出せなければ努力など意味がないとも考える人も多いと思います。
努力をしてきた代表ともいえる、イチロー選手を引き合いに努力という言葉をいま一度考えてみました。
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努力とは他人が見ていないところでもやるものだ
例えば、仕事で必死に頑張っているAさんがいたとしよう。Aさんは誰が見ても真面目に仕事をする人で手など抜かない。勤勉さは評価されているが、失敗が多く、安定した業績はあげられてはいない。
もう一方で、Bさんという人もいるとしよう。まわりの評価はBさんは仕事に対する情熱はAさんに及ばないものの、無駄のない仕事っぷりと結果を出すところが評価されている。
ここで考えてもらいたい。どちらが会社にとって良い社員なのかを。
賛否両論はあるだろうが、明らかにBさんである。なぜなら結果を出せるからだ。そして、実は一番努力をしているのもBさんなのかもしれない。つまり仕事時に努力をするのは当たり前なのだ。
イチローは天才なのか
イチローのことを「天才」と呼ぶ人たちがいますが、僕は「ただの目標バカ」だと思っています。そういえばエジソンの「天才とは1%のひらめきと99%の努力」という言葉は有名ですよね。
イチローは小学校の文集でこんな作文を残しています。
ボクの夢は、一流のプロ野球選手になる事です。
そのためには中学・高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍をするには、練習が必要です。ボクは三歳の時から練習をはじめています。
3年生の時から今までは、365日中、360日は激しい練習をやっています。
だから、1週間中、友達と遊べる時間は、5~6時間の間です。
そんなに練習しているんだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
小学生としてはとても目標が高いですね。しかも、よくある作文ではなく凄く『具体的な』作文なのです。
プロ野球をめざしたイチロー選手は、七年間バッティングセンターに通い続けました。
休んだのは、お店の休業日である正月の2日間だけだったそうです。
「そんなに練習しているんだから、必ずプロ野球選手になれると思います」という言葉は自信にあふれています。
イチローは特別ではない
よく考えてみてください。イチローは高校時代、確かに甲子園には行きましたが、特に大活躍も優勝していません。松坂投手のような大活躍をし、鳴り物入りでプロへ進んだ黄金ルーキーではなかったのです。高3のときには決勝戦で7-0で敗退、ノーヒットでした。
ドラフトも強豪とはいえないオリックスの4位指名でした。全体でいえば40番目ぐらいの評価です。つまり、イチローはその年の野球選手の中ですら40番目ぐらいの実力しかなかったということです。
イチローは同期のドラフト1位選手の体格を見て「これがプロとしてやっていく体か」とショックを受けたそうです。
最近では日本ハムの大谷翔平選手が162キロを出したり、10勝&10HRを達成し話題でしたが、彼は間違いなく本物の才能を持った選手であり彼こそが天才と呼べるのかもしれません。
元祖天才は長嶋茂雄さんだと僕は思います。「グワッと振る」など、イメージでこなせるのが天才の特徴です。
高校時代の有名な逸話があります。
・・・当時、寮には幽霊が出ると噂されましたが、それは夜中にこっそり練習するイチロー選手の姿でした。
「自分ではそれがふつうだったんです。練習できないよりは精神的にずっと楽でしたから」
あまりにも努力家すぎたようですね。
イチローの言葉
▼夢をつかむというのは一気にはできません。小さな事を積み重ねることで、い
つの日か信じられないような力を出せるようになっていきます。▼ぼくもみんなと同じような年の時には、汗水たらして泥にまみれて、みんなと同じように野球をしていたことを覚えておいてもらいたい。
「イチロー選手262のメッセージ」より
本当の努力とは小さなことを積み重ねることです。それをイチローは誰よりも理解しています。
「4000安打には、僕の場合、8000回以上悔しい思いをしている。その悔しさと常に、向き合ってきた事実は誇れると思いますね」
4000安打とは、打てなかったら打てなかった理由を分析する、対応をするという努力を積み重ねたイチローだからこそ辿りつけた数字だと僕は思うのです。
比べるのはなんですが、ブログを書いていて書き続けることの難しさを日々感じています。ブログですら続けるのが難しい・・そう考えると、イチローの努力の凄まじさを思い知りますね。
果たして僕は天才だったのか?
急に僕の話になりますが、僕も一応プロ野球選手を夢見ていた時期がありました。これは小学校のときのお話です。
僕には3つ年の離れた兄がいます。そして兄は小学三年生になると、ソフトボールチームに入団しました。地元界隈では軟式野球よりもケガする可能性の少ないソフトボールが盛んだったためです。
兄が入団すると、僕もソフトボールが身近になり練習をしていました。そして僕も入団できる年になり、入団しました。それからは週2でソフトボールの練習、さらには部活が始まると、週7でソフトボール三昧になっていきました。
僕にはそこそこの野球の才能があったようで、低学年からチームで活躍をしていましたが、なによりも僕は誰よりもグラブやボールに触れてきたという自負がありました。うちの中でもグラブを手にはめ、ボールで遊んでいたぐらいです。しかし、イチローのようにバッティングセンターに毎日通ったり、毎日素振りはしていませんでした。どちらかといえば、ボールを投げる方が好きだったからです。
僕は日々練習の中でイメージし、どうやったらスムーズに処理できるのかを考え練習していました。僕は内野手だったので、きわどいボールでも取り方一つでアウトにすることができたからです。守備は深いです。
次第に僕はチームを支えるような存在になり、気が付けば実力は上級生を含めた仲間の中でも一番上の方になっていました。
しかし、僕は脚も大して俊足でなければ、体格も普通で身長も高くなく、身体能力も特別高くなかったように思います。(肩に関しては強かったですが。)今になっては本当にそう思います。僕より脚の速くて運動能力が高い子はたくさんいたように思います。
しかしそんな僕が何故一番野球(ソフトボール)が上手かったのかといえば、小さい頃からの積み重ねが一番あったからなのではと思います。幼少の頃から家族もよく練習に付き合ってくれました。
つまりなにが言いたかったというと、自分程度の才能でも小さいころからの積み重ねを続けたことで仲間の誰よりも野球が上手になることができたという事実です。そして突き動かしていたのは、『うまくなりたい。』『野球が好き』という想いだったと思います。
僕は天才ではありませんでした。
つまり、なにかが上手な人や結果を出せる人はそれなりの積み重ねをしてきたということだと思います。
まとめ
つまりイチロー選手は誰よりも努力をしたからこそ、超一流のプロ野球選手になれたということです。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力」といいますが、イチロー選手の場合は「プロ野球選手になれるぐらいの1%の才能と99%の努力と積み重ね」だと思います。さすがにプロ野球選手になるにはある程度の才能が必要です。
そしてイチロー選手が小学生のときから持っていた『目標』があったからこそできた努力なのではないでしょうか。「ただの目標バカ」という言葉は間違っていなかったかも?
しかし、それらを努力と呼ぶのは個人的に尺だと思っています。何故なら、僕は野球の為に積み重ねた練習やギターが弾けるようになり為に練習した時間を努力と一度も思ったことがありませんでした。それはただ上手になりたいからこそ続けた結果なのです。
つまり、自分の中に努力という言葉など存在しないのではないかと思うわけです。自分の中で価値をつくるのであれば、イチロー選手のように積み重ねることに最も価値があるのではないでしょうか。
努力とは常に、他人が誰かを見て評価する言葉なのかもしれないですね。
参考書籍
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